病の記

 こんな題を書くと、なんか、すごい大病を患っているのか!とか、以前からの体調が悪化したのでは!などと思われるかもしれないが、そういうわけではない。心配される方もいるかもしれないので、一応、はじめにことわっておく。
 とは言え、全く健康であるかと言えばそういうわけでもない。秋から年末にかけて、また、少し、例の体調不良が出てしまい、年明けには腎臓結石が再発して苦しんだ。でも、今はそれらも治まり、なんとか平常に戻ったようだ。
 ところで、毎年、シーズンオフになると、蝶採りに行けなくなるので、ヒマにまかせて、いろいろな雑文を書いてきたのだが、今年は前序の体調もあり、何も更新してこなかった。すると、今年は何も書かないけど、どうかしたのか?ついに死んだのか?なんて思う人もいるかもしれない。それも困る。まだ生きている。
 けれど、何か、新しく書くものも考えていない。迷蝶に関する新たな知見や考察もないことはないが、まとめて書くほどの量ではない。きまぐれ博物誌の続きをとも考えたが、これもネタを思いつかない。せめて、5つ6つ思いつかなくては、単発で1つ2つ書いてもしょうがない。新しい小説を見たいという奇特な人もいるが、これはもっと難しい。どうしたものかと思っていたら、いっそのこと、私が悩んでいる病について書いたらどうだろうかと思いついた。こういうものは、傍目から見てもわかりにくいものだし、説明もしにくいものだ。いっそのこと、文章にしてしまった方が伝わりやすいかもしれない。逆に面倒なやつだと思われてしまうかもしれないが、まあ、ネタが尽きた者のあがきだと思って、軽く流してほしい。とにかく、書いてみる。




 原因不明の体調不良


 数年前から悩まされている症状だ。とにかく説明しづらい。一番簡単に言えば、船酔いに似た感じと言えばいいだろうか。とにかく、頭が重く、頭痛、吐き気があるときもあり、だるくて辛い状態が続く。立っていても座っていても、それどころか寝ころんでいても、辛さに変わりがない。一番、楽なのは眠っているとき、という状態だが、後述するが不眠症でもあって、簡単には眠れない。やっと眠れても、朝、起きて症状が治まってなければ、いっそのこと、目覚めなければいいのに、と思うことさえある。ヤバイ。目覚めなかったら、死んでるってことじゃないか。死にたくはないが、ひどいときはその方が楽だとすら思ってしまう。
 とにかく、この症状が出始めたら、一時も早くおさまってほしいと願うばかりだ。寝てても起きてても辛さに変わりはないので、最近は症状が出ていても、出かけることにしているが、辛さを我慢しながらの行動は、やはり楽しさも半減する。幸い、無理して行動しても、症状が悪化することはない。それより、快方に向かうことの方が多い。はじめてこの症状が出たときは旅行をキャンセルしたこともあったが、最近は多少無理してでも出かけることにしている。そして、たいてい、快方に向かう。
 つまり、この症状は「病は気から」を地でいったような、精神的疾患ではないかと思っている。とはいえ、心療内科で診察を受けたときは、こういうものはストレスによっておこるので、そのストレスを解消すべきだ、と言われた。この症状が出始めたのは、介護のため仕事をやめ、その両親も死んで、まったくのフリーになってからだ。それまでのストレスだらけの仕事や介護から解放されたのだから、ストレスなどないに等しい。そう言うと医者はお手上げになったらしい。自分はストレスを取り除く手伝いをするものなんだけどなあ、と頭を掻いていた。とにかく、精神安定剤だけは処方してくれたが、これが効いた。これを飲むと、症状がかなり改善されるのだ。
 考えてみると、仕事しているときでも、ひどくはないが、似たような症状が現れたこともあった。けれど、そんなことで仕事を休むわけにはいかない。気づいてみると、いつのまにか治まっていたのだ。ということは、このような症状は以前からあったものの、そんなことを考えている余裕もなく仕事をしているうちに、治まってしまっていたが、今は、やらなければならない仕事などないので、症状だけが際立ってしまうのだろう。
 何が原因でそうなるのか不明だが、きっかけは思い当たることがある。一つはテレビの画面などで、画面がはげしく動くのを見ていたときだ。それを見ていたら、急に船酔いのような状態になり、それをきっかけにおかしくなった。もう一つはどうしても眠れずに、ほとんど徹夜してしまったときだ。朝から寝不足の辛い状態から、同じような症状に移行してしまった。前者は全くの船酔いと同じだが、違うのはなかなか治らず長引いてしまうということだ。(はじめてこの症状が顕著に出たときは、3か月くらい辛い思いが続いた)
 けれど、今は精神安定剤を飲めば改善されるのがわかっているので、少しは安心している。あまり薬には頼りたくないので、できるだけ使わずに過ごしているが、症
状が出たときは早めに飲んで回復に努めている。秋から年末にかけても、ちょっとおかしくなって薬を飲み、しばらくしてまたおかしくなり…というのが続いたが、それほどひどくはならずにすんだ。今後もこれでなんとかなるだろう。




  不眠症

 これは、けっこう若いときからそうだった。もともと、寝起きがとてもよく、朝、目覚めたとたんに100mダッシュしろと言われても大丈夫、というくらいだったのだが、逆に寝つきは悪く、明け方近くまで寝付けないというようなことも、しばしばあった。けれど、若いときはそれでも乗り切れた。学生時代には、55時間寝ないで起きていたこともある。朝、7時に起きて学校へ行き、午後まで授業を受け、その後、近くの友人の下宿で麻雀をやる。それは結局徹マンになってしまい、朝の授業がないやつはそのまま寝てしまうが、私は朝から授業だったので、大学に戻る。そして、授業が終わるとまた友人の下宿に出向き、その日もまた徹マンになる。メンツは入れ替わっているので、前の日からずっと起きているやつは、他にいない。翌朝、授業に出たが、さすがに限度だった。午後は授業がなかったので、家に帰って寝た。寝たのは昼の2時ころだったが、目が覚めたら翌朝の7時だった。ぶっつづけで、17時間寝ていたのだ。若いからできたことだし、そのころはタフさも誇っていた。今考えると、よく生きていたなあ、と思う。
 就職してからはそん無茶はしなくなったが、寝つきが悪くて、徹夜に近い感じになったことはかなりあった。もちろん、そんなことで仕事を休むわけにはいかないから、いつもの時間に起きて出勤した。若いときはそれでもなんとかなった。
 けれど、当然のことだが、そんなときは1日中しゃっきりしない。睡眠が足りてないのだから当然だ。だが、どうしても起きていなければならないようなときに限って、痛烈な眠気が襲ってくる。仕事をしていない今は、そんなときは寝てしまえばいいと思うのだが、仕事をしているときは困ったことが多かった。大切な会議であったり、来賓をもてなさなければならないときなど、絶対に寝てはいけないときに限って眠くなるのだ。去年、なにかの答弁をしているときに居眠りを糾弾されていた人がいたが、自分の経験を考えると、責めることができない。深夜番組を見ていたとか、遅くまで飲んでいたとか、そんなのは自業自得だし、仕事が忙しくて寝るヒマがないというのなら、辛くても納得はできる。だが、寝たい、眠りたいと思っても寝付けず、結果的に睡眠不足になってしまうのは、なんともやるせないことだ。
 そんなことをなくすために、睡眠導入剤を勧められ、15年ほど前から飲むようになった。これも初めはどうしても眠れないときだけ、と思っていたが、そのうち、飲まなければ眠れないようになった。そんなことを10年以上続ければ、立派な依存症だ。しかも、飲めば確実に眠りにつけるわけではない。飲む量を増やせばいいのだろうが、それはしたくない。できるだけ生活リズムを崩したくないので、同じ時間に起きて、同じ時間に寝るというようにしたい。だから、毎日11時過ぎに布団に入る。直前に睡眠誘導剤を飲んでいるので、12時前には眠りにつくのだが、運が悪いとそこで寝付けないことがある。するとそこからしばらくは眠気がこない。というか、はっきり目覚めてしまう。次に眠気がくるのは1時過ぎだ。たいていは、疲れもあるので、そこで眠りにつくことができる。が、さらに運が悪いとそこでも寝付けず、次は3時近くまで眠れない。まあ、こんなことは年に1度くらいで、たいていは2時前には眠れるのだが、それでも、起きる時間は同じようにしているので(4時まで起きていたときは、さすがに寝過ごした)その日は、寝不足のまま過ごす。昼間、眠くなるが、そこでうっかり昼寝をしてしまうと、また、夜、寝付けなくなるといけないので、懸命に起きている。
 なんで、眠るという、当たり前のことで、こんなに苦労しなければならないのだろう。ほとんど眠れずに朝を迎えたときは、例の体調不良を誘発してしまったこともあるので、とにかく眠ることには必死になっている。これはなんの苦労もなく眠れる人には絶対に理解できないだろう。すんなり眠れるというのは、実に幸せなことだと、普通の人はわかっていないだろう。
 しかし、去年あたりから睡眠導入剤を安易に処方しないようにとの通達があったらしい。それまで処方してくれていた医者が、いきなりくれなくなったのだ。初めにこれを勧めた医者なのに、今度は出さないと言い出した。これには参った。「私も以前は使っていたけど、ちゃんとやめられましたよ。あなたもやめる努力をしなさい」だと。ふざけるな。そんな簡単に眠れたら、そもそも導入剤には頼らない。そっちの勧めで依存状態になったのに、屋根に上らせといて梯子をはずすようなものじゃないか。第一、自分ができたから、というのは、何の説明にもなっていない。人間すべてが同じ条件ではないだろう。私は若いとき100mを12秒で走れたが、あんたも、練習すれば12秒を出せるようになるのか?オリンピック選手は9秒台を出せるようだが、誰でも練習すれば出せるのか?少なくとも私には無理だ。あんたは努力すれば走れるとでもいうのか?
 とにかく、こちらとしても必死だ。こんなことは心の中で思っただけで口に出したわけではないが、それでもなんとかしてほしいと頼んだにもかかわらず、どうしても処方してくれなかった。先代から50年も世話になった医院だったが、諦めた。今は別の神経科に通って、処方してもらっている。神経科の医者は、さすがに不眠症にも精通しているようで、処方してくれた。
 眠れなければ、また、例の体調不良に陥って、辛い思いをする。そしてまた、もう目覚めなくていい、なんて考えが浮かんでくるかもしれない。そんな思いは2度としたくないのだが。



  尿管結石


 5年ほど前だろうか。いきなり腹が痛くなった。腹と言ってもどこだかよくわからない。あいにくその日は日曜で、近くの医者はやっていない。よほど救急車を呼ぼうかと思った。だが、我慢して休日診療の当番の医者を調べ。バイクで駆け付けた。そこで診断されたのが、尿管結石だった。
 尿管とは腎臓から膀胱へとつながる管で、腎臓でろ過された尿を膀胱へ送るものだ。そこに石が詰まってしまうと、ろ過された尿が腎臓に溜まってしまい、とんでもない激痛を感じるのだ。さらに、膀胱から尿道へといく途中で引っかかると、これも大変に痛い。
 しかし、これは我慢するしかないようだ。石が出てしまえば治まるので、それまではじっと耐えるしかない。石が大きくて、どうしても出ないときは、超音波を当てて石を砕いたり、手術で取り出すこともあるそうだが、ふつうは痛み止めを飲みながら出るのを待つのだけだそうだ。
このときも、痛み止めの座薬をもらい、それで耐えた。2日くらいで痛みは治まったので、いつの間にか石が出たのだろう。小便をしていると、便器にカランカランと音がすると聞いたが、私のときはそんなことはなかった。膀胱の中で溶けてしまったのか、ジョボジョボいう音にまぎれてわからなかったのか。
 痛みはそんな感じだが、もう一つ嫌なことがある。石が尿道を通るとき、どうもその内側を傷つけるようなのだ。そこに傷がつくと、まずいきなり尿意を催すようになる。漏れそう!とトイレに駆け込んでも、チョロッとしか出ない。そうでなくても、とにかく痛いというより気色悪いのだ。人が見てないところでは、チンポコを握りしめて耐えることになる。
 あとは、小便に血が混じるので、ひどいときは小便が真っ赤になる。まさに血の小便が出るのだ。初めて見たときはびっくりした。
そのときは、それで治まったが、これはクセなるようだ。以降、何度か出ている。痛む場所はその時々で違うため、別の病気ではないかと思ったりするのだが、血の小便を見ると、なあんだ、やっぱり石だったか、と、妙に安心できる。辛いのは確かだが、痛み止めを飲んで我慢していれば、そのうちに治る。
 そして、この年明けにも、また出たのだ。ここまでわかっていてもなお、腸に腫瘍でもできたのではないか、すい臓に癌でもできたのではないか、などと不安になってしまう。そして、血尿を見て少しほっとするのだ。
 石ができる原因はいろいろあるようだが、一番よくないのはしゅう酸の含まれている食べ物を摂取することだそうだ。石はしゅう酸カルシウムというものであり、カルシウムは摂らないわけにはいかないが、しゅう酸は控えた方がいいらしい。だから、大好きなほうれんそうもあまり食べないようにしている。しかし、以前に撮ったMRIで、腎臓の中にまだ石があるのがわかっている。写るくらいだから、結構でかいのだろう。これが落ちてきたらどれだけ痛いのだろう。そんな不安は今後もずっと続くのだ。




  花粉症


 今から40年前、まだ花粉症というものはほとんど知られていなかった。私もそうだが、花粉症にかかっている人はほとんどいなかった。それが、ぽつぽつ知られるようになってきたのが35年ほど前からだろうか。当時、私はまだ花粉症にはかかっていなくて、普通にギフ採りに山に通っていた。あるとき、100mほど先にある一本杉から、もうもうと煙が出ているのを見たことがある。が、それは煙ではなく、スギ花粉だった。ちょっとした風でもうもうと立ち上がるそれは、木が燃えて煙が出ているように見えたのだ。それを見て「こんなに出るなら、花粉症になる人がいるのもわかるね」と、全く他人事のように会話したのを覚えている。花粉症とは、ごくまれに特殊な人がかかるものだと思っていたのだ。そして、気にすることもなく、花粉がもうもうと飛ぶ中でギフ採りを続けていた。
 ところが、その数年後、突然、花粉症を発症した。それまでなんともなかったのが、いきなり、くしゃみ鼻水目のかゆみでぐしゃぐしゃになったのだ。花粉症にかかった人はわかると思うが、これはじわじわと悪化するものではない。ある日突然、0から10にどかんと発症するのだ。いつのまにかなっていた、なんてことはない。
 私は、子供のころからアレルギー体質で、冬になると手足がカサカサになって粉を吹いたようになった。今でいうアトピーだが、当時はそんな言葉もなく、毎日「桃の花」だったかな?軟膏を塗りまくっていた。サバを食べて、全身ジンマシンが出たこともある。とにかく、アレルギーを発症しやすい体質なようだ。そんな状態だから、花粉症にかかりやすい素質をもっていたのだろう。けれど、それまで全くそんな気配がなく、さんざん花粉の中で活動していても平気だったため、私は花粉症にはならないものだと思っていた。
 だから、なるべくしてなったとも言えるのだが、そうなってもしばらくの間は辛い思いをしながらも、ギフ採りは続けていた。ひどいときは、目が腫れあがり、白目の部分がゼリー状にブヨブヨになり、黒目の部分が引っ込んだようになったこともある。猛烈にかゆいが、掻いたら眼球を痛めるので、こらえきれないときだけ、まぶたの上からギュッとおさえつけて、目薬をさして治まるのを待った。
 そんな感じで、花粉症になってからもギフ採りは続けていたが、あるとき、とんでもないことが起こった。蝶採りに行っていたときではなかったが、いつものくしゃみ鼻水に加えて、息苦しくなってきたのだ。たぶん、のどが腫れて、気道が塞がりかけていたのだろう。呼吸困難を感じ、慌ててアレルギーの薬を飲んで事なきを得たが、これは思ったよりヤバイかもしれないと思うようになった。
考えてみれば、花粉症とはアレルギー反応なのだから、アナキフィラシーショックを起こしてもおかしくないはずだ。今まで無事だったのは運がよかったに過ぎない。
 改めて考えてみれば、アレルギーとは、抗原抗体反応である。これは人間が生きていくうえで必要なものだ。はしかに一度かかったら、2度とかからない、というは、このためだ。体には、外敵をやっつける仕組みがある。けれど、万能ではない。ちょっとしたばい菌などはこの仕組みがやっつけてくれるが、はしかのような強力なものは、簡単にはやっつけることができず、繁殖を許してしまう。言ってみれば、屈強な用心棒が外敵をやっつけてくれていたのだが、ピストルをもった強盗には侵入を許してしまうようなものだ。けれど、そのままですませるのではなく、用心棒は対抗手段としてマシンガンを作成し、やがては強盗をやっつけるのである。そして、それ以来、マシンガンを常備するようになり、2度と強盗の侵入を許さなくなるのである。1度はしかにかかったら、2度とかからないのはこのためだ。体内には死ぬまでマシンガンが常に用意されているようになる。けれど、この仕組みが過剰反応してしまうのが、アレルギー反応だ。花粉症の場合、ふつうは無害の花粉に対し、用心棒は無視している。けれど、用心棒がうっかり、「こいつは悪者だ」と誤認することにより、花粉症は発症する。無害な花粉に対して、マシンガンを打ちまくることになる。もちろん、自分の体も無傷とはならない。過剰反応を起こした末にアナキフィラシーショックで死に至ることも十分あり得るのだ。そして、一旦常備するようになったマシンガンは死ぬまで持ち続けることになる。だから、花粉症が治ることはない。
 これを経験してから、私の生活は一変した。とにかく花粉を体内に入れないよう、念入りに気を配るようになったのだ。外出時にマスクをするのは当然であり、通勤の時もスキー用ゴーグルを着用した。ギフをはじめ、この時期に蝶採りに行くのはやめた。山の中でアナキフィラシーになったら助からないではないか。ただ、沖縄にはスギがないので、そちらには出かけることが多くなった。
 もちろん、ふだんの生活にも支障が出る。この時期は洗濯ものを絶対に外干しできない。あとで、その服を着ると、くしゃみ、鼻水など、ひどいことになるからだ。外出時はマスクはかかさず、帰宅したときはパンパン体をたたいて、できるだけ家の中に花粉を持ち込まないように注意しなければならない。困ったのは仕事中だ。あまりバラしたくないのだが、実は私は小学校教師だった。ということは、体育の授業では、どうしても外に出なければならない。やむを得ず、マスクとスキーゴーグルをつけて授業をしていた。(室内は意外と花粉の飛散量は少ないらしく、マスクをつけずとも大丈夫だった)一番困ったのは卒業式で、いつもは鼻をかむような事態になってもいいように裏方に配属してもらったが、自分が卒業生の担任になったときは、さすがに裏に引っ込んでいるわけにはいかない。かといってマスクやゴーグルをつけて式に臨むわけにはいかない。体育館はたいてい校舎から少し離れた場所にあり、そこまで移動するには、花粉飛び交う渡り廊下を通らなければならない。私はそこを通過する間、呼吸をとめ、目を細めてなんとかしのいだ。おごそかな式の最中にくしゃみや鼻をかむ音が響き渡ったら式が台無しになってしまう。そうならなくてよかった。
 ところで、最近はそこかしこに花粉症患者がいる。これ、本当に花粉症なのだろうか?私のようなアレルギー体質の者でも、長年花粉にさらされた末に発症したのに、ほとんど山にもいかないようなやつ(中には子供までいる)まで、花粉症だと言って、鼻をグズグズ言わせている。さらに、変なのは、スギのエキスを取り入れることにより、免疫をつけて治すなんて治療もある。免疫ができてしまったから、この辛い花粉症になったはずなのに、それを助長するなんて変ではないか。
 さらに考えてみれば、今まで花粉症で死んだやつは聞いたことがない。日本だけで何万、何十万の花粉症患者がいる中で、私が死にかけたように、アナキフィラシーをおこすやつが一人もいないとは思えない。これだけの患者がいるのなら「今日の花粉症による死者の数○○人」ということがふつうに起こってもおかしくないのではないか。
 そこで考えた。現在、花粉症と呼ばれているものは、大部分が抗原抗体反応によるものではないのだろう。体内にマシンガンを装備しているわけではなく、ただ、花粉に対して過剰に反応しているだけの症状なのだろう。だからこそ、スギエキスによって慣らしていくなんて治療法もあるのだろう。
 もう一つ、症状を緩和する薬というのもある。私はこれをずっと飲んでいなかった。なぜなら、抗原抗体反応を抑える薬なら、用心棒の働きを弱めることになるだろうと思ったからだ。臓器移植をうけた患者が、しばらくの間服用するものと同じものだろうと思っていた。移植された臓器を自分の体が拒否してしまうと、移植は失敗してしまうので、用心棒の働きを弱めて新しい臓器を攻撃しないようにするものだ。しかし、これを飲むということは、他の外敵、ふだんなら気にならない程度のばい菌も攻撃しなくなって、病気になりやすくなる。実際、移植手術を受けた患者は、しばらくは無菌室のようなところで過ごすらしい。そんな薬はリスクが大きすぎるだろうと思っていたのだ。けれど、飲めば軽くなるという医者の言葉を信じて、ある年に飲んでみた。でも、それで症状が軽くなったと言う自覚はなかった。もとより、できるだけ花粉が入らないように気を付けていたので、症状が出ることはかなり減っていたのだが、たまに出たときは、やはり鼻がグシュグシュ、目が真っ赤、くしゃみの連発という、以前と症状は変わらないように思えた。だから、この薬もその年だけでやめてしまったが、結局、この薬は私が考えていたような抗原抗体反応を抑えるものではなかったのだろう。一般的な花粉症、スギエキスで治療できるタイプの花粉症に対して効果があるものなのだろう。
 とにかく、私はアナキフィラシーショックにおびえて、ギフ採りにすら出かけなくなっていたのだが、最近になってまた行けるようになった。というのも、数年前から花粉を取り入れないための薬というものが出てきたからだ。今までは、症状を緩和するための薬ばかりだったが、花粉を取り入れないというという方法は目からうろこだった。花粉さえ体内に取り込まなければ症状は出ないのだから、花粉をシャットアウトしてしまえばいいのだ。はじめて使用したのは「花粉、鼻でブロック」というものだった。鼻の穴に塗っておけば、花粉はたいていマイナスイオンを帯びているので、同じマイナスイオンの軟膏を鼻の穴に塗っておけば花粉が反射して入ってこられないのだ。静電気と同じような原理と思えばいい。たまに、プラスイオンを帯びた花粉もあるが、これは軟膏に引き付けられ、そこに張り付いてしまうので、どちらにしても呼吸によって体の奥に入ることがなくなる。実際に試したところ、これの効果は抜群だった。感覚的に体内に入ってしまう花粉は1/10以下になった気がする。しかし、これだけでは目に入るものは防げない。だが、今度は、それの応用で顔面にスプレーするタイプのものが現れた。顔面にスプレーしておけば、目の近くに飛んできた花粉は、はじかれたり顔にくっついたりして、目に入る量も減るのだ。この2つを併用することにより、かなり花粉を取り入れずに済むようになった。100パーセント防げるものではないが、ふつうに生活していてもある程度は覚悟しなければならないので、それと同程度の状態になるのなら、効果抜群と言える。
 さて、また花粉の季節が来る。安い薬ではないので出費はかさむが、またギフ採りができるようになったのだから、考えようによっては安いものだろう。今年もスプレーと軟膏を塗りたくってギフを採りに行く。




 他にも、今までなかった胃の痛みや冷え性など、なにかしら体の不調を覚えることが増えてきた。年寄りになったものだと実感してしまう。あちこちの細胞が古くなってしまったのだろう。けれど、まだ少しは蝶採りを続けていきたい。それができなくなったりしたら、それはもう死ぬときだろう。その前にやりたいことはまだある。一度でいいから飛行機のファーストクラスに乗ってみたいし、ホテルのスイートルームに泊まってみたい。もし、癌などが見つかって、余命どのくらい、とわかったら、即座にそれらを予約するだろう。けれど、運よく生き永らえた場合を考えると、無駄遣いするわけにはいかないので、なかなか実行できない。でも、事故にあったり、卒中や心筋梗塞を起こしていきなり倒れてしまうことだってある。夢をかなえる前に動けなくなるのも嫌だ。
 少しは贅沢旅行を増やしていった方がいいかも、と考えるようになった今日この頃である。

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この記事へのコメント

ヒロモッチ
2020年01月23日 10:30
b級蝶屋さんらしい科学的な分析をされており,とても参考になりました。特に,小生も花粉症で悩まされています。去年一昨年は花粉飛散が少なかったように思われます。その証拠にここ何十年もこの時期に医師に薬を出していただいていたのにここ二年取りに行きませんでした。私も学校勤務だったので卒業式のエピソードは同感の二重丸。40歳過ぎてから式の司会をするようになった時から今まで以上にひやひやでした。マイクを通して体育館中に響き渡るくしゃみが・・・の前に何とか口を押えて未遂に終わったことも何度も経験。とにかくお互い健康のための蝶とりのために努力をしていきましょう。(今は歯痛に悩まされています。ここ14年間2週に一度通っています。歯医者に。)では,あまあの世まで財産持っていかれないので少しは贅沢しましょう。(その他難民の子供たちへの寄付も考えられますが。)
ヒロモッチ
2020年01月23日 10:32
b級蝶屋さんらしい科学的な分析をされており,とても参考になりました。特に,小生も花粉症で悩まされています。去年一昨年は花粉飛散が少なかったように思われます。その証拠にここ何十年もこの時期に医師に薬を出していただいていたのにここ二年取りに行きませんでした。私も学校勤務だったので卒業式のエピソードは同感の二重丸。40歳過ぎてから式の司会をするようになった時から今まで以上にひやひやでした。マイクを通して体育館中に響き渡るくしゃみが・・・の前に何とか口を押えて未遂に終わったことも何度も経験。とにかくお互い健康のための蝶とりのために努力をしていきましょう。(今は歯痛に悩まされています。ここ14年間2週に一度通っています。歯医者に。)では,あまあの世まで財産持っていかれないので少しは贅沢しましょう。(その他難民の子供たちへの寄付も考えられますが。)
シオシオ
2020年01月23日 10:43
ヒロモッチさん コメントありがとうございます。花粉症が抗原抗体反応であれば、治るとしたら、年を取って用心棒が役立たずになった時だけでしょう。けれど、その時には、他のばい菌の侵入も防げなくなり、病気にかかりやすくなるということです。それは花粉症よりひどい状態でしょうね。だから、花粉症が出ているうちは、まだ用心棒が元気な証拠だと、自分を慰めています。
やれやれ。若いときは体調に気を遣うなんてことはしなくてよかったのに、年をとるってのはやっかいなことですね。まだ若いつもりでいたけど、年寄りになったことを自認せざるを得ません。
コメッチ
2020年02月15日 19:43
沖縄へも療養がてら、おいでください。
シオシオ
2020年02月15日 23:20
コメッチさん コメントありがとうございます

沖縄本島へは予定がありませんが、八重山には今年も何度も出かける予定です。来週、さっそく今年第一回目に出かけます。西表、波照間、石垣を回る予定です。順調にいけば、月末の連休あたりに、そのときの様子をUPできると思います。